上手な最後のむかえ方ってなんだろう?

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節分を過ぎて大寒波がやってきました。冬は苦手。なるべく家から出たくない。

正月休みも毎年恒例のドラマの一気見と昼寝と読書の繰り返し。

そんな中、今年は1冊目から名著に出会えました。

講談社現代新書 久坂部羊 著

著者は1955年大阪生まれの医師であり小説家。

タイトルは刺激的で哲学的だけど、文章は平易で明るくリズム感があって読みやすい。

まえがきの部分から心掴まれてあっというまに一気読みです。

望ましい最後を迎える人と、好ましくないなくなり方をする人のちがいはどこにあるのでしょう?問題は死が一発勝負で練習もやり直しもできないということです。(中略)

医療が進歩し、死が病院の中に隠されるようになって、死はどんどん世間の目から遠ざけられてしまいました。それに輪をかけたのが、生の無条件肯定と、死の絶対否定です。

否定していれば死なないのであれば、ずっと否定していればいいですが、いくら否定しても、死は必ず訪れます。であれば、あらかじめしっかりと準備をしておいたほうがいいに決まっています。

「人はどう死ぬのか」はじめに から抜粋

前半は「死ぬ」ということは実際どういう状態になることなのか、医者はいつどうやって判断するのか、看取りの作法、いろんなパターンについて書かれています。

私は今まで家族の「正に臨終」の場には立ち会ったことがなく、眼の前で看取った経験がありません。

なので専らイメージするのはドラマや映画での臨終シーン。

病室に医師が駆け込んできて必死で心臓マッサージをするも最後はあきらめて心電図を止め「ご臨終です。手を尽くしましたが残念です。」と告げられ、そこで家族が「わあっ」と突っ伏して泣く。

書いてみると陳腐だけどこんなイメージ。

自分にだって必ずやってくるものとわかっているはずだけど、正直自分の最後のときのことを想像してみることが今までなかったなあ。なんだかわからなくて怖そうだから避けてたのかも。

人が亡くなる前の身体の変化やあらわれる症状などがお医者さん目線で冷静に描かれていて読んでいるうちに「そういえば以前飼っていた猫の最後もこうだった」と思い出しました。

具体的に知って理性的になってみると「そうか、生きていれば必ず起きることなんだ」「そんなに恐ろしいことじゃないんだ」とか「思ったより不幸なことでもないな」と得体のしれない怖さが薄れてきました。

目次
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何が不安なのかを考えてみた

また漠然とした不安感についても、例えば私が突然逝くとして一体何が困るのかを考えてみました。

まず残される家族のこと。子供はすでに成人してるので心配はなし。夫もたぶん大丈夫でしょ。

預貯金や不動産など資産管理についてはすでに終活で整理してあるから一覧を見ればわかるようになっているし、決算や確定申告や税金や役所の手続きなどのモロモロは夫ひとりではムリだろうけど、まあ息子や誰かに頼ってなんとかするかな?

あとは、他人に見られるとマズイ(?)日記や昔の写真などの私物もすでに断捨離で処分したりデジタルデータ化してあるから大丈夫。

どうしても残したいわけじゃないからデータが消えてもOK。

物欲も所有欲も生きていればこそなので意味がない。

行ってみたいところ、やってみたいこと、アレもコレもと挙げればキリがない。

コレだけはやり残してどうしても悔いが残るとか、このままだと悔しくて成仏できないなんてことも思いつかない。

まずはここまで大きな事故や病気もなく健康に生きてこれた。

事件に巻き込まれることなく、戦争もない平和な時代を過ごし、バブルも経験してちょっぴり楽しく過ごしたし、その後結婚もして出産も経験できた。

子育てはうまくできたかは自信ないケドそれでも子供は成人し、雨風防げる家にも住めて、仕事も波はあれどそこそこ食べて遊べるだけ稼げた。いろんなことに感謝。

こう考えてみると「いつ最後が来ても全然大丈夫だな、別段困ることないな」と。

しかーし!!ここまで読み進めて、またまた不安になりました。

実際はそうスマートにいくかなあ。

だいたいその最後の時、私はどこにいるんだろう?自宅?施設?病院?

最後を迎えるまでの期間はどれぐらいなの?その時意識はあるの?認知機能は正常なの?

ムリな延命しないでって自分で伝えられる状態なの?家族はちゃんと伝えてくれるの?

最後まで自宅でなんて家族には迷惑なんじゃないの?施設でも穏やかに逝けるの?

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上手な最後を迎えるには

昨年88歳になったワタシの父親に会った時に、ちょうどこんな会話をしました。

父「ワシは最後はコロッと逝きたい。体中に管とかつけられるのはまっぴらだ。

理想は家から救急車で病院に運んでもらってそこでサッと最後を迎えるんだ。」

ワタシ「イヤイヤ、それは無理でしょ。

病院は病気を治すとこだからさ、救急車で病院に運ばれたらまずは延命処置されるよ。

管つけられるよ。そんな簡単には逝けないよ。

日本の医療技術って世界でもスゴイんだからさ。」

父「えっ?それじゃあワシはどうすればいいんだ?」と呆然。

穏やかに老後を過ごしている父を不安にさせてしまって、その時は私自身も答えを返せずにいたのです。

しかし、この本の第九章「”上手な最後”を迎えるには」まで読んでなるほど!とはっきりしました。

やるべきことは「事前準備をする」こと「心の準備をする」こと「求めない力を鍛える」こと。

いつなにが起きてもいいように普段から身の回りを整理し、覚悟をして、最後は全部受け入れること。

文章で書くとカッコよすぎる気がしますが、たぶんコレが究極。

そう考えるとすっきりして急に気持ちが前向きに。

残りの人生を思う存分楽しもう!

4年前に作成済みの「事前指示書」も引っ張り出してきて再度読み返してみました。

この延命治療拒否のための「事前指示書」についてはまた次回に。

今日はここまで。最後まで読んでいただきありがとうございました。

著:久坂部羊
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