2025年はチャンスの年かもしれない

仕事の忙しさを言い訳にブログ更新を長くサボってきましたがようやく再開。
気が付けば2月。今さらながら昨年の振り返りと今年の見通しを。
2024年の振り返り
終活の一環として始めた『毎日必ずどこか一カ所!』の断捨離。

昨年秋に家族総出でフリマ出店。開始2時間でほとんど売り切り。
フリマに出品できなかったファンヒーターはジモティで売却。
そのほかの処分品は市のクリーンセンター(ごみ処理場)に持ち込んで安価に廃棄。
今や我が家の収納棚、クローゼット、納戸、物置はガラガラすっきり。

これで次の住処のダウンサイジングOK。
半年後には一軒家から小さなマンションに住み替える予定です。
仕事もとりあえず今の会社を解散することに決めたので、その準備と調整に大わらわ。
そんな日常のなかで誕生日もいつもと同じようにすうっーと過ぎていき、またひとつ歳を重ねました。そして私はぬるっと60歳になりました。特に嬉しくもなく哀しくもなく、おめでたくもなく残念でもなくです。
周りもほとんど気づいていないみたいだし、還暦の言葉を自ら口にする機会もあまり訪れません。
唯一実感したのが、プラセンタ注射のために週に一度通っていた病院で「60歳になったので今日から保険診療ではなく自費になります。」と告げられた時のこと。
「ふーん、そういうもんなんですか。」と説明を受けているワタシに、顔見知りのナースたちが「あらまぁ残念よねえ。」と口々に慰めて(?)くれました。

へえ60歳って残念なカンジなのか?
でも考えてみると60歳って人生の残り時間を計算するのにキリがいいんですね。
あと20年。自分が成人になるまでの時間。息子の子育てをした時間。感覚的にもわかりやすい。
そうか人生には期限があるんだと今さらながら考えるように。
しかし日常は仕事中心に忙しく過ぎていきます。
一日の仕事が終わると身体より脳がくたびれて思考する力が残っていない日々。夜の読書もなかなか進まない。週末も家でドラマや映画をぼーっと眺めて脳を休める。
体力はあるんで早朝ジョギングも趣味も続けたし旅行も行ったけど、思考する力のほうが衰えてきて頭の中で常に並行して考えられることが減ってきたカンジ。
毎日の思考の大半は、目の前にある片付けるべき仕事のこと。だから仕事の前の『毎日断捨離』は私にとって良いリフレッシュになっていたのだと思います。
こんなふうに2024年は過ぎていきました。
2025年の見通し
明けて1月。かねてより探していた次の住処が見つかりトントン拍子に契約できました。
引き渡しはもう少しあと。その後リフォームかけて6月ぐらいに引っ越す予定。
断捨離が終わっているのでダウンサイジングした部屋でもすっきり暮らせるハズ。
仕事もダウンサイジング。3月には法人を解散してまた個人事業へ戻します。
会社清算に3ヶ月ぐらいかかりそう。別の新しい事業にも興味があるのでその勉強も始めたい。
ここまでが2025年前半の見通し。

でここからが、ここ最近考えていること。
あと20年。
体力的には今までと同じ時間感覚ではないことは承知のうえで考えてみる。
この20年をどう過ごすのか。どんな毎日を過ごしたいのか。
ひとまずは新しい住処での生活イメージ。日常生活はシンプルがいい。
次の住処は都会に近いので毎日街のどこかに出かけたい。そして新しいモノや情報に触れて刺激を受ける生活をしたい。いつも『へえ~』と驚くことに出会いたい。
若い時、人生経験が少ない分を補おうといろんな情報話題人脈を集めてはストックしていた。薄っぺらにならないように、いろんなことに対処できるように人間力を貯めておくんだと。
あの時の感覚を思い出してみる。今はどうだろう。過ごしてきた年月だけは増えたけど人間としてのストックは?自分から集めに行ってるかな?
仕事や生活にかまけて人生サボってないだろうか。
また、普段は対外的評価を気にした言動になりがち。まあ社会人としてあたりまえなのか?本質的には「最後はまあどうにかなる」と腹をくくれる自信はあるけど、それでもやはり他人の目は気になる。
残りの人生もっと自分のやりたいように行動してもいいんじゃないかな。
シンプルで刺激的な日常生活。内省的だけどもっとわがままに。
せっかくの60歳という区切り。これを機会に変えてみたい。チャンスかも。
母よりも長く今まで生きてこれたことに感謝しつつ。